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武藤百合のカウンセリングルーム_Jacdp-Shiga 支部長通信

武藤百合

 

日本臨床発達心理士会滋賀支部・支部長

京都大学博士(人間・環境学)/臨床発達心理士/公認心理師/臨床心理士

 

2024.2.6

 

ヴォーリズ精神と学校臨床(1)
〜「個」と「集団」に働きかける心理職〜

 

   「あなたは大方、大学院でネズミの実験をされていたのでしょう」 これは私が初めて、近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)に足を踏み入れ、A学園長のカウンセラー採用面接を受けた時、A学園長から私に投げかけられたお言葉です。そして、その後に「実験で人の心はわからない」、「本学園は子どもたちに寄り添ってくれるカウンセラーを必要としている」というお言葉が続きました。(ああ、なんだか誤解されてしまっているなあ)と考え、大学院時代の専攻は臨床教育学であり、そこで学んだ心理学は臨床心理学で実験心理学ではないのです、とできる限りことばの表現に気を配りながらお伝えしましたが、私の表現不足故か、(心理学=動物実験によって最新の知見を得る学問分野)であるという印象を覆していただくことはできませんでした。
   

 予想通り、結果は不採用でした。大学院(京都大学大学院教育学研究科修士課程)を出て3年目、ちょうど京都で病院臨床の職を得て、当時京都から移り住んだ地元・滋賀県でも教育現場で働きたいと考え、移住先でお世話になっていた近江兄弟社高等学校教員の B先生から「今、学園ではスクールカウンセラーを必要としていますよ」と伺い、採用面接を受けたのですが、A学園長のご判断は「(実験)心理学を学んだ方はカウンセラーとして本学園にはふさわしくない」というものでした。(世の中では臨床心理学と実験心理学のイメージが混在しているのだ 。というか、大学院出たてで、まだまだ経験の浅い自分には、どう考えても説明能力が不足している 。仕方ない。病院臨床で腕を磨いて、また別の仕事に応募してみよう)と、しばらくは病院臨床に集中し、大学院で学んだ心理アセスメントやカウンセリングの技術を基礎として、自己研鑽に励んでいくつもりでした。しかし、なんとその数週間後、突然A学園長から電話がありました。「ある生徒がパニック症状を出して(本人も周囲も)悩み、困っているので、あなたのお力が必要です。是非お力になっていただきたい」という内容でした。ちょうど病院臨床で同症状を呈する数名のクライエントさんを担当していたので、これは天の配剤に他ならないと直感し、最初はその生徒さんの(心をケアする)「訪問家庭教師」として関わり、その数ヶ月後、A学園長より「学園でも生徒たちの心のケアをしてほしい」と再度依頼があり、近江兄弟社学園スクールカウンセラーとして正式に着任しました。その後すぐに、(面接でいったん落とされているくらいだから、カウンセラーとしてそんなに仕事があるわけではないだろう)と考えていた自分の甘さを思い知ることになります(その辺りについては、次回以降のブログ記事で少しずつ触れていきます)。

    早いもので、それから25年以上もの月日が流れました。ぽっと出のスクールカウンセラーであった私は、その後ハイド記念館内に近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)こころセンターを開設し、現在ヴォーリズ学園はカウンセラー数名の常駐校となりました。公立学校と同じく、不登校やいじめ、心の病や発達障碍など、実に様々な相談がたくさん寄せられ、生徒たちやその保護者の皆様の心のケアを行なっています。2020年度より公認心理師実習も開始され、毎年京都橘大学や追手門学院大学の大学院生さんたちを受け入れ、実習指導者として公認心理師を目指す大学院生さんたちに講義やスーパーヴァイズを行うようになりました。実習指導を行う中で、ヴォーリズ学園で歩んできた心理職としての自分の歩みを客観的に振り返ることができるようになり、「臨床家としてどうにかこうにか道を切り拓いてきた(?)不器用な私から、後進の皆さまにお伝えしたいこと」がより明確になってきたように思われます。本記事の添付ファイルはその指導で使用しているテキスト(スライド教材)となります。「「個と集団」に働きかける心理職」は、私が生涯に渡り実践・研究を深めていきたいと考えている最大のテーマです。テーマが大き過ぎてとても一人では背負えきれませんので、心理職仲間の先生がたや、フレッシュな学生の皆様とともに、これからも探求していきたいと考えています。

 

     公認心理師実習生の皆さまに一言。「共に楽しみながらがんばりましょう!」

 

 

 

 

 

2023.3.5

 

書評:カサンドラのティータイム

 

カサンドラに花束を

〜「モヤモヤ」を抱えて生きる女性たちの緩やかな午後〜

 

「先生……私、カサンドラ症候群、なんでしょうか。ネットで検索したら、ピッタリ当てはまっていたんですけど」―心理カウンセラーの仕事をしていると、たまに「カサンドラ症候群」のことがクライエント(来談者)さんの方から話題に上ることがある。カサンドラ症候群は正式な医学用語ではなく、心身の消耗(心と体が疲弊している状態)、うつ状態、「自分なんてダメな人間だ」という自尊心の低下、無気力など、周囲と感情の交流が難しい自閉症スペクトラムのパートナーがしばしば陥りやすい状態を指すものとして使われ始めた概念である。具体的には、パートナーとの関係性において、自分が喜んでいても一緒に喜んでもらえず、自分が助けて欲しいと訴えても汲み取ってもらうことが難しいような毎日を過ごすうちに、心身ともに疲れ、「何を言ってもダメだ」と気力を失い、自尊心すら低下していくような状態である。

 

正式な医学用語ではないので、勿論診断というものはなく、冒頭のような質問を受けても断定的に「そうですね」とは言えず、「そうかもしれませんね……」という表現に留めることが多い。ただ、パートナー(夫や彼氏)との関係に違和感を感じる、気持ちのやり取りができにくい、という状況が背景にあって、心に「モヤモヤ」を抱え続け、気分が晴れない女性たちは、「カサンドラ症候群」という言葉に出会い、自らの現状を重ねることで、長年抱え続けてきた「モヤモヤ」に、「私の経験はそういうことだったのか!」と明確な言葉で輪郭を与えることができ、「スッキリ」した気分を取り戻せることがある。そのような、いったん「スッキリ」する経験は、その後の段階(パートナーとの今後をどうしていくか、どうしていきたいのか、考え、行動する段階)に必要なプロセスであり、その意味で心理カウセラーを生業とする筆者にとっては、「カサンドラ症候群」という言葉が、時には本人ですら気づきにくい問題を浮き彫りにしてくれる、とても大切な概念であると感じている。

 

「カサンドラのティータイム」はまさしく、タイプは異なるものの共感性に課題がある男性たち、しかし、当人たちはその事におそらく無自覚であり、社会生活ではうまく立ち回れている男性たちとの関わりから、心のどこかに「モヤモヤ」を抱え続ける「カサンドラ」たちのお話である。「カサンドラ」たちは、「やり場のない感情」を自分の中に押し込めてしまう場合が多いが、その「やり場のない感情」とは、何かがおかしいと声をあげても、誰にも届かない孤独感であるとも言える。相手が社会的に信頼されている人物であれば、尚更その傾向は強くなり、立場が弱い方が、二人の関係性の中で何が起こっているのかを誰にも理解されず、晴れない「モヤモヤ」を抱え続けながら日々を生き抜くことになる。特に「カサンドラ」が受けやすい(「カサンドラのティータイム」本文中に何度も出てくる)「モラルハラスメント」は見えない暴力である。その見えない暴力を、受けた側はそのこころの傷を人にわかってもらうことすら難しい。また、暴力を受けた当人ですら、それが見えない暴力=「モラルハラスメント」であったことに、かなり時間が経ってから気づく場合もある。

 

主人公の一人、友梨奈はお酒に酔って知り合って間もない社会学者・深瀬奏と一晩を過ごしてしまい、その後ストーキングの疑いをかけられ、スタイリストになる夢を断たれてしまう。この辺りは読み進めていて、心がチクチクと痛む感覚を受けた。友梨奈の気持ちを、誰も聞こうとしなかったのか。「それって品があるってことよ」と友梨奈を評価していた菱田さん(スタイリストで友梨奈の上司)は、友梨奈が深瀬をストーキングしていたと本当に信じてしまっていたのか。菱田さんに強く憧れ、美容師の仕事をしながら努力に努力を重ねて上京し、誠実にアシスタントとして働いていた友梨奈は、夢破れて東京を去ることになる。そんな友梨奈の心には、どこか凍てついた部分があるのかもしれない。もう一人の主人公である未知の、友梨奈に対する職場で出会った最初の印象は「くらい感じ」であった。

 

未知は未知で、過去の出来事を漫画にしてS N Sにあげたことで、パートナーの彰吾からかなり強い言葉でなじられ、心に深い傷を負ってしまう。友梨奈は、駐車場で泣いていた未知のことが放っておけない。しかし思慮深い友梨奈は決して未知の問題に土足で踏み込むようなことはせず、慎重に未知の反応を探りながら、未知が受けているのは「モラルハラスメント=精神的な暴力」ではないかと、未知の彰吾に関する話から、友梨奈が受けた印象を丁寧に、未知の様子を伺いながら伝えていく。友梨奈と未知は、特に親しい友人というわけではなく、職場(精肉店)で偶然出会い、共に働く「同僚」である。この距離感がまた絶妙で、お互いにタイプが異なる「モラルハラスメント」を受けた「カサンドラ」同士であるが、過度に相手に立ち入り、同情し合うことはない。友梨奈は未知に対して、かなり客観的な視点を保ちながら付き合っているし、未知は未知で、友梨奈の過去を知る由もなく、素直に友梨奈の差し出した専門の本を読み、共感したり、考えを巡らせたりしている。

 

ラストシーンのティータイム場面で、未知は友梨奈と山久さん(未知と友梨奈のもう一人の同僚で、夫との関係は良く、「モヤモヤ」はない)に対し、自分なりに出した「結論(彰吾のそばにいたい)」を語る。「モラルハラスメント」の被害者が、加害者から逃げることはそう容易くできるものではないだろうが、未知もその例にもれず、まだ彰吾との関係に希望を抱いている様子である。その未知に対して、友梨奈は不安を覚えつつも心打たれるものがあり、菱田さんに自分の「思い」を話しておけばよかった、と自らの気持ちに気づかされる。個人的には、この辺りの描写が非常に圧巻で、胸に迫るものがあった。「モラルハラスメント」を受けて「カサンドラ」になってしまったから、相手が自己愛型人格障害かもしれないから、離れればそれで相手との関係が終わる……事態はそう単純ではない。自己愛型人格障害かもしれない人物(「カサンドラのティータイム」本文中でも言及されているが、当人が医師の診断を受けていないので、ここでは「かもしれない人物」で留めるべきであろう)が、ストレスフルな状況(彰吾の場合は小説家として、単行本の刊行を目指して努力する日々)から脱した時に健康な自己愛を取り戻す場合も十分にあるだろうし、親密な他者との関わりの中で、健康な自己愛を育んでいくことも勿論あると思われる。したがって、未知の決意は、あながち見当はずれとは言えないかもしれない。果たして、未知が彰吾の中に見出した「きれいなもの」とは一体何なのか。おそらく、ティータイムで一緒に緩やかな時間を過ごし、未知の決意に耳を傾けていた友梨奈や山久さんにも、未知が見出した彰吾の中の「きれいなもの」が具体的に何なのかは、わからなかっただろう。ただ一つ言えるのは、人と人との「縁」は、「モラルハラスメント」を受けたから切れる、という類の単純なものではない、ということかもしれない。

 

一方で、自分の身に起こったことが「モラルハラスメント」であったと認めつつ、なおも相手と一緒にい続けることには様々なリスクが伴う。敢えて心理カウンセラーとしてその最たるリスクを挙げるとすれば、「共依存」(アルコール依存症などの問題を抱える相手の世話をすることで、自分の有用性を確認するという、一見うまく行っているようだがお互いの成長を妨げてしまう関係)という言葉が浮かんでくる。その意味で、山久さんが彰吾のもとを離れないと宣言した未知に語った「自分を大事に」という言葉が、実にいい味を出していると、筆者には思われた。そう、「自分を大事に」……こころの闇を抱えている可能性のある相手と関わるときは、この言葉を一番心に留めておく必要がある。人から本当の意味で尊重され、大切にされた経験が乏しい人間が、いつしかパートナーを尊重しなくなり、暴力で抑えつけようとしてしまう……そんな「負の連鎖」を、心理カウンセラーとしての筆者は数多く経験してきた。そのような中で、被害を受けた側が相手と関わり続ける上では、誰よりもまずは「自分を大事に」扱うこと、自分の限界を知って無理をしないこと、自分の気持ちを大事にしてそれを誰かに伝えること……この3点が、とても大切であると思う。

 

そして勿論、温かいお茶を。美味しいカレーやチャイを。自分の五感を楽しませる時間を、特に「モラルハラスメント」を受け、心に「モヤモヤ」を抱え続ける女性たちには、大切にして欲しい。言葉の暴力を受けて疲れた心と体に、温かい飲みものと、心からホッとできる時間を。多くの「カサンドラ」たちに必要なのは、このような心からほっこりできる「ティータイム」であると思う。勿論、自分に降りかかった出来事の意味をじっくり考え、心の癒しを得るために、専門的なカウンセリングを受けることも時には必要だろう。ストレスが高じて不眠や食欲不振が出て来れば、医療受診も必要だろう。しかしその前に、安心できる仲間と共にリラックスできる緩やかな時間を、どうか大切にして欲しい。多くの「カサンドラ」たちは目に見えない傷を沢山、負っている。その原因は、「勝ち負け」にこだわるパートナーの、意識的には全く悪意のない、けれども無意識的に相手を貶める言葉であったりする。日常生活で知らず知らずのうちに緊張して、気を使い過ぎてしまっている「カサンドラ」たちが、ほっこりできる「ティータイム」を大切にしながら、仲間同士で語り合い、元気と笑顔を取り戻すことができますように。未知も友梨奈も、自分を過度に責めてしまい、人生に対して失望してしまわずに、勇気を持って問題と対峙していけますように。この願いはそのまま、私が心理カウンセラーとしてかつて出会ってきた「カサンドラ」たち、そしてこれからも出会うであろう沢山の「カサンドラ」たちへの、希望と祈りであるとも言えるかもしれない。

 

世代も違い、立場も異なる三人の女性たちが、お互いを気遣い適度な距離を保ちながら、労わりあい、思いやり合うラストシーンの「ティータイム」が、私には何より愛おしく、素敵な時間であると思われた。女性たちがこうして緩やかな時間を過ごし、互いの思いを語り合う時間を持つことができれば、ささくれだった世の中は随分と潤いに満ちたものになるかもしれない。そして、私のような心理カウンセラーのもとに駆け込む女性たちも、幾分か減っていくかもしれない。「カサンドラのティータイム」は、お互いがお互いの「感性」や「意志」を尊重する時間。そして、再び世界と対峙していくための、大切な充電の時間。心理カウンセラーとしての私は、世の「カサンドラ」の女性たちが、このような豊かで、ある意味贅沢かもしれない素敵な「ティータイム」を過ごせることを、願わずにはいられない。そしてその場所に、人から理解されにくい傷つきや悲しみを抱え続けてきた「カサンドラ」たちの気持ちを、明るく照らし、優しく潤わせてくれるような「花束」があれば、なお素敵であるかもしれない。

 

最後に、「カサンドラ」という、ともすれば光が当たらない(=当たりにくい)女性たちの思いに焦点を当て、彼女たちの心のひだを丁寧に、美しい言葉で描写してくださった櫻木みわ様に、心からの感謝と拍手を送ります。2022年のB I W A K O B I E N N A L E「O R I G I N〜起源〜」作品の一部が沖島で展示され、その開催期間中に沖島で櫻木様とお出会いしたことをきっかけに書評を書かせていただきましたが、私自身とても学ぶことが多く、改めて「モラルハラスメント」被害者の方々に心理カウンセラーとしての自分ができることは何なのか、深く考えさせられました。櫻木様とのお出会い自体が、未知と友梨奈の出会いのように、何か不思議なご縁を感じざるを得ない出来事でした。今後のご活躍を心から祈念いたします。

 

 

参考文献

武藤百合「エゴグラムで知る「わたし」と「あなた」〜五弁の花を咲かせよう〜」ヴォーリズ学園心理学講演資料、2022年

谷本惠美「カウンセラーが語るモラルハラスメント 人生を自分の手に取り戻すためにできること」晶文社、2012年

福山れい「モラハラ夫の精神的支配から抜け出す方法」日本能率協会マネジメントセンター、2022年

マリー・フランス・イルゴイエンヌ/高野優訳「モラル・ハラスメント 人を傷つけずにいられない」紀伊国屋書店、1999年